-定点観測者としての通信社-
写真展開催にあたって
経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのは、終戦から11年たった1956年でした。その年11月に第1次南極観測隊は観測船「宗谷」で東京・晴海を出港、翌57年1月に南極に到着し、上陸地点を「昭和基地」と命名しました。このニュースは国民に元気を与えてくれました。当時、子供心にも強い印象が残っています。
あれから60年余。観測隊はすでに59次に及びます。観測船も「宗谷」から「ふじ」「しらせ」、新「しらせ」と4代目になりました。写真展では、この間の南極観測の歴史を ①「挑戦」基地開設から極点到達まで ②「拠点」観測船と観測基地 ③「生活」隊員たちの一年 ④「自然」大地と天空 ⑤「生物」極限で生きる ⑥「観測」過去と未来への窓―の6章で構成し、125枚の写真で振り返っています。
この中には、第3次観測隊の隊員がクマかと見まがう大きなイヌを抱えた写真があります。これが無人の昭和基地で1年間生き抜いた樺太犬のタロとジロ。この話はのちに映画『南極物語』になりましたが、写真は今見ても感動を覚えずにはいられません。また、サスツルギと呼ばれる雪面模様、太陽が緑や青に変色するグリーンフラッシュ現象、お湯が一瞬にして氷結する「お湯花火」などは芸術的ともいえます。
今年1月、冒険家、荻田泰永さんが無補給単独歩行で南極点に到達しました。日本人初の快挙です。南極に関心が向いたこの時期に、日本の南極観測の歩みを写真展として開催できたことは何かのご縁かもしれません。ぜひ多くの人に見ていただきたいと思います。
今回の写真展の企画、設営に当たっては共同通信社に全面的なご協力をいただいたほか、国立極地研究所の協力を仰ぎました。ここに深く感謝申し上げます。
公益財団法人 新聞通信調査会
理事長 西沢 豊