2018.02.22
ボーン・上田賞
2017年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞者決定
ボーン・上田記念国際記者賞委員会は2018年2月22日、2017年度の同賞を日本経済新聞社論説委員兼編集委員の太田泰彦(おおた・やすひこ)記者と共同通信社外信部次長の井上智太郎(いのうえ・ともたろう)記者の2人に贈ることを決定したと発表した。
2017年は米国でトランプ政権が誕生し、中国の習近平国家主席が権力基盤を固め積極的な対外政策を展開する一方で、デジタル分野での技術革新が加速するなど、歴史の節目ともなり、ジャーナリトの力量が試される1年だった。
太田記者はシンガポールをベースとし、アジア地域を幅広く、かつ複眼的に現地取材し、この歴史的な新潮流の実態と方向を探った。例えば、単なる覇権主義の手段とみられがちな中国の「一帯一路」構想について、同記者はそれが周到に練られた情報戦略、産業・通商政策を含んだものだとし、周辺諸国への具体的な影響、および周辺諸国の受け止め方の変化等を丹念に検証した。
広東省・深圳(しんせん)がいまや単に世界のモノづくり工場ではなく、内外の人材を集めながらアジアの起業とイノベーションの聖地となりつつあることにもいち早く注目、トランプ政権の移民制限策が一つのきっかけとなって高度技術、イノベーションの中心地が米国から中国に移る可能性についても洞察する。世界各国が優良資本と人材の争奪戦を展開している現実を認識しきれていない日本に警鐘をならしてもいる。太田記者はさらに英文媒体への寄稿、ASEANダボス会議など国際会議での議論への参加により、世界にも向けて積極的に発信し、国際的な議論に一石を投じていることも評価できる。
井上記者は金正恩体制の北朝鮮の動向がアジア地域のみならず世界のリスク要因として関心が高まるなかで、同国の経済や制裁問題について継続的に取材、その過程でうまれた特報が各国メディアや研究所に取り上げられ、国連安保理による北朝鮮に対する石油製品供給制限決議に至る議論に影響を与えた。
とりわけ注目されたのは、長年にわたって外貨稼ぎの任務に携わっていた朝鮮労働党機関の元幹部、李正浩(リ・ジョンホ)氏(2014年に韓国へ亡命、16年から米国在住)に長時間にわたるインタビューを行い、北朝鮮がその生命線である燃料を中国だけでなくロシアから大量に調達している事実を明らかにしたことである。
インタビューの内容について、井上記者は李氏を知る人々や米政府当局者への徹底した裏付け取材で信頼性を確保、李証言は日本の47の新聞に掲載された。アジア各国、さらに米国でも多くの有力な新聞、放送が同氏の特報をフォローし、米CNNは李氏へのインタビューを放映した。こうした報道により井上氏はロシアからの燃料調達ルートが北朝鮮にとって重要であり、北朝鮮への制裁には中国だけでなくロシアがカギを握っていることを国際社会に鮮明に示した。
井上記者は、ワシントン特派員だった2016年にオバマ政権が北朝鮮に対する石油禁輸を中国に打診していることを特報した。それ以後も北朝鮮の核・ミサイル開発問題、制裁問題を丹念に取材し続けた。そうした継続的で地道な取材の蓄積から国際的な世論にも影響力をもつ多くの情報提供が生まれ、本賞が掲げる「国際報道を通じた国際理解の促進」への貢献につながった。
太田記者は1961年生まれ。85年、北海道大学理学部(物理化学専攻)卒業、日本経済新聞社入社。89~91年、米マサチューセッツ工科大学大学院(科学技術・公共政策)留学。科学技術部、産業部、国際部を経て94~98年、ワシントン支局。2000~03年、フランクフルト支局長。04年、論説委員兼国際部編集委員、15年4月から論説委員兼編集委員(シンガポール駐在)。日経の英字メディア「Nikkei Asian Review(NAR)」のコラムニストも兼務している。東京都出身。57歳。
井上記者は1971年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。95年、共同通信社入社。福岡支社編集部、長崎支局、千葉支局を経て04年、外信部。同年韓国延世大学で1年間、語学研修。07~10年、ソウル支局。10~11年、政治部で外務省、防衛省、自民党を担当。11年に外信部に戻り、13~16年、ワシントン支局。16年4月より外信部次長。熊本市出身。46歳。
ボーン・上田記念国際記者賞は、日米協力による自主的な世界ニュース通信網の確立に献身したマイルズ・W・ボーン元UP 通信社(後のUPI 通信社)副社長、および同氏と親交のあった上田碩三(うえだ・せきぞう)元電通社長が1949年に東京湾の浦安沖で遭難されたのを惜しみ、また両氏の功績を顕彰して1950年に設けられた。優れた国際報道を通じて国際理解の促進に顕著な貢献のあった記者個人に贈られる。