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- 「ボーン・上田記念国際記者賞」
- これまでの受賞者
これまでの受賞者AWARD HISTORY
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2023年度
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遠藤良介(産経新聞外信部次長兼論説委員)
遠藤記者は、ウクライナの現地ルポや関係国の高官インタビューを柱にした報道が「秀逸」などと高く評価されました。ウクライナは「全領土奪還へ妥協しない」との発言をタミラ・タシェワ・クリミア担当大統領代表から引き出した点も成果と称えられています。
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尾関航也(読売新聞欧州総局長)
尾関記者はウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領へのインタビュー、さらにフィンランド大統領、エストニア首相へのインタビューも評価されました。ウクライナ大統領は専用列車内での会見で東部戦線での「弾薬不足」も既に訴えていました。
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2022年度
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高野裕介(朝日新聞イスタンブール支局長)
高野記者は2022年2~10月に合計3回・132日間にわたり、戦火のウクライナに出張。凄惨な戦争の現場を取材し、ロシア軍の戦争犯罪の現実も伝えました。「出色のルポ」だと評価されました。息子をロシア軍に連行された母親、ロシア兵に拘束され虐待を受けた市民など、取材対象に寄り添った迫力のある記事が深く印象に残りました。
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大熊雄一郎(共同通信外信部記者)
大熊記者は、2022年10月の中国共産党大会に先立つ1カ月前に、習近平総書記が読み上げ「活動報告」で「台湾統一」の目標を明確に位置付ける、と特報したのをはじめ、大会で決める重要方針や人事を相次ぎスクープしました。中国に詳しい外交専門家が「身に危険が及ぶ」ほどの取材だと称えています。
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2021年度
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須賀川拓(TBS記者、JNN中東支局長)
20年にわたり駐留した米軍が撤退し、タリバンが実権を握ったアフガニスタンに入り、カブールの厳しい現実を生々しく活写した。タリバンの報道官との長時間インタビューは圧巻である。記者は冷静に厳しい質問を畳みかけてぶつけた。鋭い切り込みようであり、迫力のある論争でもあった。タリバンにより破壊されたバーミヤンの石仏にも足をのばし、地域住民の極度な貧困、飢餓の実態を伝えた。迫力のある映像、生の声はテレビの強みであり、その強さを実証した。
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2020年度
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芹田晋一郎(共同通信社外信部次長)
いまや常態化している中国公船の尖閣諸島領海への侵入について丹念な取材を重ね、公船に乗って指揮を執っていた元海軍幹部、郁志栄氏にインタビュー。中国が2008年12月の初侵入の2年前から日本による尖閣実効支配を打破することを計画していた事実をつかんだ。インタビューにより、「指導部」の指示に基づいた侵入と確認、中国の意図や背景を突き止めた。記事は欧米メディアも掲載するなど、国際的にも反響を呼んだ。
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藤本欣也(産経新聞社東京本社編集局副編集長)
2019年10月から1年間にわたり香港取材に没頭。習近平政権による「中国化」政策のなかで民主化を求めて苦闘する香港について迫力のあるルポルタージュを生んだ。中国政府が2020年6月30日に香港国家安全維持法を施行した際、香港に高度な自治を保障してきた「一国二制度」の死を意味すると断じ、法律による中国の事実上の香港進駐と洞察した。「香港は死んだ」と題するその記事は香港メディアでも取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。
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2019年度
村山祐介(朝日新聞社経済部)
グアテマラなど中米3カ国からメキシコを通って米国を目指す移民集団に同行取材してその実像に迫った。インタビューは約300人、その出身国は18カ国に及んだ。欧州諸国が難民締め出しを始めたあと、この中南米―メキシコ・ルートがグローバルな移民、難民の新たなルートとなっていることを突き止めた。自ら写真や動画撮影もこなし、新聞紙面だけでなく、テレビのドキュメンタリー番組としても発信、多様なメディア、媒体を駆使して、幅広い読者、視聴者に情報提供した報道の姿勢も評価された。
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2018年度
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金成隆一(朝日新聞社ニューヨーク支局)
「トランプ王国」と名付けたオハイオ州の“ラストベルト”にアパートを借りて地域住民のなかに飛び込み、継続的に取材した。人々の本音を探り、2018年の中間選挙の時期には微妙な変化が生まれつつあることも生々しく報じた。同記者の取材での発見は、トランプ大統領の誕生によって米国が変わりだしたというより、むしろ米国社会の分断、底流の変化そのものがトランプ現象を生んだのではないかといった示唆を与えるものである。
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秋田浩之(日本経済新聞社コメンテーター)
米中の「冷戦」、北朝鮮の非核化問題、中国とロシアの接近といった世界的に注目を集めた国際ニュースをカバーし、多くの秘話を織り込みながら、深みのある分析記事、論評を書き続けてきた。記事執筆のほか、日米欧の官民対話、日本・ASEAN・メディア・フォーラム、アジア安全保障会議など、海外で催される多くの国際会議に参加し、情報発信した。また報道番組にも多数出演し、外交問題を解説した。
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2017年度
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太田泰彦(日本経済新聞社論説委員兼編集委員)
アジア地域を幅広く、かつ複眼的に現地取材し、歴史的な新潮流の実態と方向を探った。中国の「一帯一路」構想について、それが周到に練られた情報戦略、産業・通商政策を含んだものだとし、周辺諸国への具体的な影響、および周辺諸国の受け止め方の変化を丹念に検証。広東省・深圳(しんせん)がいまや単に世界のモノづくり工場ではなく、高度技術、イノベーションの中心地が米国から中国に移る可能性についても洞察したことなどが評価された。
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井上智太郎(共同通信社外信部次長)
北朝鮮の動向が世界のリスク要因として関心が高まるなかで、同国経済や制裁問題について継続的に取材。その過程で、長年にわたって外貨稼ぎに携わっていた朝鮮労働党機関の元幹部への長時間にわたるインタビューなどを特報し、北朝鮮の生命線である燃料を中国だけでなくロシアから大量に調達している事実を明らかにした。継続的で地道な取材の蓄積から多くの情報提供が生まれ、本賞が掲げる「国際報道を通じた国際理解の促進」への貢献につながった。
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2016年度
受賞者なし
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2015年度
塩澤英一(共同通信社外信部次長)
取材が難しい中国人民解放軍の動向を地道に取材し、中国空軍による西太平洋における制空権の強化の方向と、戦略装備の内容などを含む長期戦略について他の内外メディアに先がけて特報した。軍制改革など世界が注視する中国の軍事・安全保障の新しい動きをいち早く報道。大国化した中国に世界的な関心が高まるなか海外メディアもこれらの特報をフォローしており、地道で持続的な取材姿勢は特筆に値すると評価された。
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2014年度
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中澤克二(日本経済新聞社中国総局長)
習近平体制下の中国に世界の注目が集まる中で、「反腐敗」を旗印に展開される動きを的確に報道した。とりわけ前政治局常務委員、周永康氏の党籍剥奪、逮捕に関しては共産党の公式発表より1年前の、開催自体も秘密にされた党政治局常務委員会での決定(周氏調査と移動制限)を、決定1週間後に特報。2014年の福田康夫元首相と習近平国家主席との会談で日中首脳会談の同年11月開催が合意されたことを世界に先駆けて報道した。
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杉山正(朝日新聞社国際報道部)
揺れるアフリカ各地の紛争の現場を取材、読者のアフリカ理解に貢献した。イスラム武装勢力「ボコ・ハラム」が女子学生を誘拐する事件が起きたナイジェリアには、事件後に日本メディアとして初めて現地取材。「アフリカの奇跡」とも言われる経済成長を遂げるルワンダでは、強権政治でしか秩序が保てずにいる「アフリカの現実」を伝え、南スーダンの激戦地帯やソマリア海賊のルポも含め、海外のメディアもできなかった現地報道を重ねた。
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2013年度
城山英巳(時事通信社中国総局)
あわせて8年近い、2度にわたる中国駐在を通じ、日中両国間の歴史に埋もれた事実を中国の外交史資料館収蔵の文書や当時の関係者への取材などによって数多く発掘した。中国政府が1950年に「尖閣諸島」という日本名を明記したうえで、中国の領土とは主張せず、琉球(沖縄)に含まれると認識していたことを示す外交文書を作成していたことを特報し、内外の大きな反響を得た。駐日大使をつとめた王毅氏の外相起用をいち早く報道した。
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2012年度
太勇次郎(日本放送協会カイロ支局長)
2011年から中東各地で起きた民主化運動「アラブの春」を一貫して取材し、リビアのカダフィ政権やエジプトのムバラク政権の崩壊など、大きな政治変動を現地から報じてきた。内戦状態に陥ったシリアでは、攻防の実態を市民の目線で映像にとらえ、実相の報道に努めた。シリア現地からの報道では、様々な人脈を活用して多様な情報を入手、分析したことや、映像メディアの特徴を活かした取材などが評価された。
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2011年度
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会川晴之(毎日新聞社欧州総局)
福島第一原発事故をきっかけに、いまだ解決の見通しのない核廃棄物処理の問題に他に先駆けて注目し、日米両国が進めていたモンゴルでの核廃棄物処分場計画を特報したほか、フィンランド、英国などでの廃棄物処理や核燃料再処理が直面している困難な問題を連載企画として伝え、フクシマ後の日本に警鐘を鳴らす役割を果たしたことが評価された。
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奥寺淳(朝日新聞社上海支局長)
中国・温州での高速鉄道事故に際し、いち早く現場に駆けつけ、鉄道当局が脱線した先頭車両を穴の中に埋めた作業現場を目撃し、その事実を中国メディアに先駆けて報道、当局の事故隠ぺい工作を指摘したものとして注目された。また少数民族の民主化運動や当局による人権弾圧などについても意欲的に報道し、中国社会の負の部分に光を当てた。制約が厳しい環境でのひるまぬ報道姿勢が評価された。
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2010年度
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峯村健司(朝日新聞社中国総局)
膨張傾向著しい中国軍の空母建造計画や海洋戦略など中国の安全保障政策のほか、メディアに対する規制や情報政策など未公表の政策に関わる情報の報道に積極的に取り組んできたことが評価された。特に秘密の壁が高く取材に対する制約も厳しい環境のもとで、当局者の間に取材網を広げるとともに、現場に足を運び当事者から地道に取材して、確かな事実に基づく報道に努めてきたことが認められた。
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大治朋子(毎日新聞社外信部)
北米総局(ワシントン)在任中、米国の「テロとの戦争」をテーマに精力的に取材にあたり、アフガニスタンでの米軍の従軍取材に基づく報道をはじめ、米国内からの遠隔操縦による無人航空機の爆撃の実態を明らかにするなど、対テロ戦争の負の部分に光をあてた長期連載企画を完成させた。また激変するインターネット時代の米国のメディア事情についても掘り下げて伝えるなど、幅広い視野に立った米国報道への取り組みが評価された。
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2009年度
受賞者なし
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2008年度
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滝田洋一(日本経済新聞社米州編集総局編集委員)
金融・マーケット分野を専門とする経済記者として、世界金融危機について、的確な分析をもとに複雑な危機の背景を読者にわかりやすく報道、解説してきたことが評価された。米国のサブプライムローン問題が顕在化する前から米金融ビジネスの危うさを指摘し、危機が一挙に深刻化した2008年9月以降の米国、世界の金融情勢の混乱についても、現地取材に基づく的確な報道を続けている。
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高尾具成(毎日新聞社ヨハネスブルク支局)
2度にわたって独裁政権下のジンバブエに入り、大統領選挙を巡る混乱を現地から伝えたほか、政治暴力や超インフレに苦しむ市民の暮らしと独裁政治の非道を記事と写真で告発した。日本のメディアの報道が手薄なアフリカで、任地の南アフリカのほか、ケニア、ルワンダなどでも努めて現地に入って取材し、市民の息吹を伝えてきた積極的な姿勢が評価された。
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2007年度
別府正一郎(日本放送協会アメリカ総局)
中東、アフリカを中心に、日本のメディアによる報道が手薄な地域や問題の取材に積極的に取り組んだ一連の報道姿勢が評価された。カイロ支局在籍中の2007年前半には、セネガルから欧州への密航船のルポやシリアのアサド大統領との単独インタビューなどを伝えたほか、アメリカ総局への異動後も、国連を足場にハイチの平和維持軍の課題、ペルー地震被災地の水不足問題、南極の温暖化問題などをリポートした。
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2006年度
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坂尻信義(朝日新聞社中国総局)
北朝鮮問題をめぐる6カ国協議に関連し、一貫して見通しの確かな報道を続けたほか、胡錦涛・中国国家主席の初のインド訪問を特報したことなどが評価された。北京勤務に先立つ3年間、アメリカ総局勤務時代にも、米朝間の交渉をめぐってその内容を他のメディアに先駆けて報道するなど、優れた実績を残していた。北京での仕事はそうした実績のうえに積み上げられた成果というべきもので、ふだんのたゆまぬ努力のたまものと評価できる。
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太田昌克(共同通信社外信部)
米国立公文書館や議会図書館の資料をもとに、戦中、戦後の隠れた史実を発掘、特報したほか、北朝鮮の核実験失敗との米政府の見方をいち早く伝えるなど、核をめぐる問題でも優れた報道を続けてきたことが評価された。かねて核問題や公文書館の資料発掘に強い関心を持ち、これまでもこれらの分野で数々の独自のニュースを掘り起こしてきた。今回受賞対象となった報道も、これまでの長期にわたる地道な努力の積み重ねが実ったものといえる。
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2005年度
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國枝すみれ(毎日新聞社ロサンゼルス支局)
長崎への原爆投下の1カ月後に現地に入って惨状をルポし、占領軍当局の検閲で公表されなかった米人記者の原稿を60年ぶりに発見、伝えたスクープが評価された。米国民の核兵器に対する意識の低さに衝撃を受けたことから、さまざまな文献、資料を調べる過程で未発表の原爆ルポの存在にたどり着いた。地道な取材、検証作業が実を結んだものといえる。この報道は、日本はもとより海外でも、原爆の被害の悲惨さを再認識させ、核の問題を問い直す契機となった。
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砂田浩孝(共同通信社外信部)
パキスタンのムシャラフ大統領との単独会見で、同国の核科学者カーン博士が北朝鮮にウラン濃縮技術や機器を提供していたことを明確に認める発言を引き出し、パキスタンの核拡散への関与に改めて国際的な関心を高めたことが評価された。インタビューは、それまでも非公式には伝えられていたパキスタンの核兵器拡散への関与を大統領の口から公式に認めさせ、北朝鮮の核開発計画とのつながりを動かぬ事実としたことで大きな意味を持つ。
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2004年度
金平茂紀(東京放送ワシントン支局長)
イラクでの日本人人質事件のさなか、コリン・パウエル国務長官との単独会見で、人質たたきに傾いていた当時の日本の世論に対する批判的な見方を引き出したのをはじめ、ありきたりの枠にとらわれない切り口で現在のアメリカのさまざまな問題を取り上げ、報道したことが評価された。取材活動は、政治、経済を中心としたものだけでなく、社会や文化を含めた幅広い分野におよび、それも記者個人の感性を大事にした切り口で取り上げている点が、ほかのワシントン報道との違いを際立たせている。
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2003年度
受賞者なし
<特別賞>
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綿井健陽(アジアプレス・インターナショナル)
約1カ月半バグダッドに滞在して、空爆下やフセイン政権崩壊前後の首都の状況を報道した。小型のビデオカメラを使い、TBS「筑紫哲也ニュース23」やテレビ朝日「ニュースステーション」などで最新の情勢を伝え現地から中継した。この間、首都の日々の状況を共同通信に書き送った記事は「戦禍のバグダッド」と題して多くの地方紙に掲載された。同氏はその後、2度イラクを訪れ、混迷が続く戦後イラク情勢を取材した。これらの取材の成果は、テレビ、新聞のほか雑誌その他の出版物にも掲載された。
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佐藤和孝・山本美香(ジャパンプレス)
開戦前から首都陥落後までのバグダッドの状況の取材、報道にあたった。両氏はチームを組み、ビデオカメラを駆使して首都への空爆や米軍の侵攻におびえる市民の表情などをとらえ、日本テレビ「きょうの出来事」「ニュースプラス1」などを通じて視聴者のもとに伝えた。現地リポートは産経新聞、日刊ゲンダイなどにも掲載された。戦後のイラクも2度にわたって取材し、テレビ、雑誌などを通じてその成果を報告している。
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2002年度
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川上泰徳(朝日新聞社中東アフリカ総局長)
パレスチナ問題に精力的に取り組んできた。同時多発テロのあとパレスチナで緊張が一気に高まると、すぐにアラファト自治政府議長と単独会見して和平解決への展望を探った。イスラエル軍によるヨルダン川西岸への侵攻では他社に先駆けてベツレヘムやジェニンに入って現地の凄惨な状況をつぶさに報道。危機の政治的、社会的背景を深みのある分析にまとめた。まず何よりも現場を踏む姿勢が、複雑な背景を持つパレスチナ危機の底流を日本の読者に知らせるのに貢献した。
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平井久志(共同通信社中国総局)
北朝鮮ウォッチャーとしての実績を積み、北朝鮮が策定した大規模な経済改革計画を世界に先駆けて報道した。瀋陽市の日本総領事館への集団亡命事件では5人の北朝鮮住民が総領事館に駆け込む状況を向かいのビルからつぶさにビデオに撮影。この映像は全世界で繰り返し報道されて、人権擁護などの観点から大きな反響を呼んだ。日本の駐中国大使が脱北者の駆け込みを念頭に置き、事件直前に職員らに「不審者と見なして追い出すように」と発言していた事実も明るみに出した。
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鈴置高史(日本経済新聞社香港駐在)
日本で培った企業取材の幅広いノウハウを生かして、中国を中心にアジア全域を対象とした報道や分析にあたっている。従来、中国については政治、外交、軍事の分野での記事や解説が多く、経済についてもマクロの動きに合わせるものが大半だった。そんな中で、産業や企業の動向という新鮮な切り口から中国をとらえ、ミクロの動きを積み上げて再構築した中国像を読者に提示するユニークなアプローチを開拓した。
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2001年度
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宇佐波雄策(朝日新聞社アジア総局長)
一貫してアジア報道にかかわってきた。各地域の政治、経済、社会問題を奥行きある視点から報道するだけではなく、民族、宗教、歴史に深い関心を寄せ、バーミヤン大仏が破壊された状況をつぶさに検証するなど、住民たちの息づかいや社会のにおいが感じられる文化的な記事を数多く書いている。アフガン危機が始まるとイスラマバード、次いでカブールから多民族社会の底流を踏まえて深みと説得力のある報道と論評を続けた。
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及川仁(共同通信社モスクワ支局)
通信社記者の取材の原点に立って、米中枢同時テロ直後の9月22日、国際記者団の中でただ1人の日本人記者として、アフガニスタン北部に入った。この日から45日間、激しい米軍の攻撃で緊迫するアフガンの軍事、社会情勢や、反タリバン勢力「北部同盟」の動向を時々刻々打電した。日本の他社が現地入りするまでの最初の約2週間、日本人の目でアフガン情勢を日本に伝える貴重な存在となった。
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2000年度
受賞者なし
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1999年度
加藤千洋(朝日新聞社中国総局長)
20年にわたって中国ウォッチを続けてきたジャーナリストで、現代中国に対する深く広い見識、どのような場合にも冷静で均衡を失わない視点が高く評価されている。97年2月の鄧小平死去を他社に先駆けて報道。98年10月から中国総局長となったのちも、大局観と緻密な分析、政治、経済、社会、文化、環境など幅広い分野を取り上げての報道やエッセーなどで、中国を見る確かな目を印象づけた。
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1998年度
伊奈久喜(日本経済新聞社編集委員兼論説委員)
海外での定点観測という従来の手法から一歩踏み出し、日本を発信基地とする幅広い国際ニュースの取材や分析を展開し、グローバル化時代の新しい報道スタイルを定着させた。日本の外交や安全保障を国内の政治、経済の動向と有機的にからませながら展開されており、読者の理解を促進している点でも特筆される。分析や論評は左右にぶれることなく、現実感覚をもとに論理性を追求し、公正な報道としての評価を高めた。
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1997年度
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千野境子(産経新聞社シンガポール支局長兼論説委員)
マニラ、ニューヨーク、中南米(移動)特派員としての活動を通じ、ペルーのフジモリ大統領とその母、アキノ・フィリピン大統領(当時)、イメルダ・マルコス夫人など数々の単独会見に成功した。96年2月シンガポール支局長兼論説委員として第一線に戻り、東南アジアの金融危機、マハティール政権のジレンマ、スハルト体制の失速などでは、活発な現地取材を重ねて、鋭い問題意識を浮かび上がらせた。加えて、重厚な解説記事や現地からの論説も説得力がある。
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伊熊幹雄(読売新聞社ロンドン特派員)
日本の政治改革の動きを視野に入れ、英国の議会制度や選挙区での取り組み、国民の政治意識の変化や情報公開への動きなどを具体的に紹介した。こうした取材の成果を3部構成の連載「検証・英国の民主主義」にまとめ、18年ぶりに起きた与野党間の政権交代を綿密かつ分かりやすく分析、これに毎回「日本の場合」と題する小コラムを付けて、日英の状況を対比したのは、国際記事を読ませるための優れた工夫として評価された。
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1996年度
信太謙三(時事通信社北京支局長)
激動期にある中国の政治、経済、社会情勢の幅広い取材を続けている。長年にわたって開拓した党中央や政府内部の情報源を活用し、北京市幹部の腐敗問題、鄧小平氏二男の汚職疑惑、党主席制の復活の動き、指導部内部の深刻な対立など、中国の政局にからむ重要な諸問題を明るみに出した。「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の自白書という歴史的価値のある文書や、北朝鮮の科学者が北京の日本大使館に亡命した事件などもスクープしている。
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1995年度
田城明(中国新聞社報道部次長)
インタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」を連載。インタビューの対象の18人はいずれもアメリカの著名な物理学者や原爆政策の立案・実行に携わった政治家などで、核時代の50年を的確に検証している。内容は原爆投下のいきさつと評価をはじめ、広島・長崎のあと核戦争の恐れは何回くらいあったのか、朝鮮戦争でマッカーサー元帥は中国への原爆投下を考えていたのか、などの疑問に迫り、戦後の国際情勢が身近に理解できる非常に優れた国際記事として評価できる。
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1994年度
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春名幹男(共同通信社ワシントン支局長)
米国公文書公開制度を活用し、米国は(1)日米開戦前から日本を軽視していた(2)日本人への偏見から真珠湾攻撃に関する情報を無視していた(3)終戦前から戦後日本の安定には天皇制維持が必要との見解をまとめていた(4)故佐藤栄作元首相からの選挙資金要請を拒否した(5)戦時中、故野坂参三日本共産党元名誉議長の協力を得て対日工作を行っていた-などの秘話を発掘し、報道した。長年の米国取材の経験に基づく卓越した記者活動の成果として表彰に値する。
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山口昌子(産経新聞社パリ支局長)
フランス事情に精通し、(1)フランスにおける臓器移植問題(2)天皇、皇后両陛下訪仏の際の天皇ブームに関連してフランス人の王政へのノスタルジア(3)スイスの宗教集団「太陽寺院教団」信者の大量死事件(4)仏大統領選挙前の地方の汚職事件(5)3年に及ぶボスニア・ヘルツェゴビナ紛争-など欧州全般にわたる取材と優れた解説・分析によって欧州への理解を促進した。高い見識に裏付けられた国際報道活動として表彰に値する。
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1993年度
松本仁一(朝日新聞社編集委員)
1982年以降、中東アフリカ担当の記者として幅広い取材活動を行っている。93年9月のワシントンにおけるイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)のパレスチナ暫定自治協定調印は、45年にわたる中東の紛争と対立の終結、イスラエルとアラブ諸国との全面和平提携の第一歩であることを詳細に報道、さらにローマ、カイロ、エルサレム等の同僚記者との協力のもとに、広さと深みのある報道活動を行った。
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1992年度
黒田勝弘(産経新聞社) -
1991年度
熊田亨(中日新聞社) -
1990年度
平山健太郎(日本放送協会) -
1989年度
斎藤勉(産経新聞社) -
1988年度
小島明(日本経済新聞社) -
1987年度
木村太郎(日本放送協会) -
1986年度
小川優(ジャパンタイムズ) -
1985年度
船橋洋一(朝日新聞社) -
1984年度
柳田邦男(日本放送協会) -
1983年度
尾崎龍太郎(サンケイ新聞社) -
1982年度
湊和夫・新井康三郎(読売新聞社) -
1981年度
下村満子(朝日新聞社) -
1980年度
斎藤志郎(日本経済新聞社) -
1979年度
近藤紘一(サンケイ新聞社) -
1978年度
磯村尚徳(日本放送協会) -
1976年度
松山幸雄(朝日新聞社) -
1975年度
- 古森義久(毎日新聞社)
- 野田衛(サンケイ新聞社)
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1974年度
大塚喬重・佐藤信行(共同通信社) -
1971年度
武山泰雄(日本経済新聞社) -
1969年度
村野賢哉(日本放送協会) -
1968年度
本多勝一(朝日新聞社) -
1966年度
- 野上正(朝日新聞社)
- 高田富佐雄(毎日新聞社)
- 関憲三郎(読売新聞社)
- 菅栄一(サンケイ新聞社)
- 鮫島敬冶(日本経済新聞社)
- 伊藤喜久蔵(中日新聞東京本社)
- 豊原兼一(日本放送協会)
- 太田浩(東京放送)
- 斉藤忠夫(共同通信社)
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1965年度
三好修(毎日新聞社) -
1964年度
中村貢(朝日新聞社) -
1963年度
- 林三郎(毎日新聞社)
- 小島章伸(日本経済新聞社)
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1962年度
仲晃(共同通信社) -
1960年度
- 大森実(毎日新聞社)
- 一力一夫(河北新報社)
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1959年度
山内大介(毎日新聞社) -
1958年度
- 嬉野満洲雄(読売新聞社)
- 篁暢児・川島吉雄(産業経済新聞社)
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1957年度
- 鈴木充(中部日本新聞社)
- 村田聖明(ジャパンタイムズ)
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1956年度
橘善守(毎日新聞社) -
1955年度
- 坂井米夫(東京新聞)
- 岩立一郎(共同通信社)
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1952年度
小山武夫(中部日本新聞社) -
1951年度
大竹貞雄(共同通信社) -
1950年度
- 高田市太郎(毎日新聞社)
- 寺西五郎(共同通信社)
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